オハヨー乳業について
ライバルは、
オハヨー乳業です。
なにを大切にして、どのような経営判断をしてきたのか。今を知るには、過去を振り返るとよくわかります。歴史のDNAを引き継ぎ、これから新たな挑戦をしかけていきます。ターゲットは、世界。“真の欲求を究めて、ホンモノをカタチにする”という旗印のもと、「圧倒的なおいしさ」「フレッシュネスの実現」「健康」「美を満たす」「医療に依存しない食品の開発による市場の育成」という価値を、食で実現していきます。ホンモノをカタチにすることが世界一になる。過去をなぞるのではなく、超えていく。ライバルは、これまでのオハヨー乳業です。
1953年 大日本乳業 設立
スタートは、練乳供給メーカーでした
カバヤ食品に、菓子(キャラメル)原料である練乳を供給するメーカーとして設立した企業、それがオハヨー乳業の前身である大日本乳業でした。乳製品メーカーというより、練乳供給メーカーだったのです。
1957年 スーパー牛乳に、
ビタミン牛乳
オハヨー乳業としての船出
この年、社名をオハヨー乳業に変更。乳製品メーカーとして、自社ブランドを立ち上げました。第1号商品は「オハヨー牛乳」。当時の岡山では珍しかった近代設備をつかった宅配商品でした。大々的な宣伝効果もあり、たちまち人気商品に。販売本数は、1日最大5万本にものぼりました。好スタートをきった勢いに乗り、スーパー牛乳、ビタミン牛乳など、発想豊かな乳製品を次々と展開していったのです。
1963年3月 アイスクリームの製造販売を開始。
1963年12月 デコレーションアイスケーキの製造を開始。
1966年 岡山県民、ママイで育つ?
子どもたちをとりこにした、乳酸菌飲料
小瓶に入った乳酸菌飲料「ママイ」。中四国で販売され、3年間で3000万本を出荷した大ヒット商品です。「ママイを飲んだことがない岡山県民はいない」と言われたほどでした。人気の秘密は、オハヨー乳業の遊びごころ。当たり付きの乳酸菌飲料だったのです。丸い紙のフタを開けて、マークがあればもう1本と交換!当時、子どもたちが集まって、「せーの」でフタを開ける光景が見られたそうです。
1969年 オーストラリア酪農庁の指定を受け、本社工場内にチーズ工場を新設、製造販売を開始
1978年 まるで、両手で運ぶように
ヨーグルトにフルーツを混ぜるのは、最後
1978年に「フルーツヨーグルト」の発売開始。 素材のおいしさにこだわった「フルーツヨーグルト」。1994年から、調達においては、開発担当者が実際に農家を訪れ、栽培方法や栽培者さんの思いに耳を傾け、あらゆる選択肢のなかから素材を決定します。収穫時の風味を保つために、工場へ出荷するときは鮮度の高い状態で冷凍保存。短時間で殺菌する独自の製法でフルーツに与えるダメージを徹底低減。いちばんおいしい状態で果肉感を味わってもらえるように、ヨーグルトにフルーツを混ぜるのは最後の工程にしています。
1982年 食べるから、飲むへ
新しい食生活を提案する企業へ
ヨーグルトは食べるもの。それが、当時の常識でした。オハヨー乳業は、業界に先駆けてドリンクヨーグルトを発売。500mlのホームユースタイプが大ヒットとなりました。単純にいい製品を作るだけではなく、新しい食生活の提案に挑んでいたのです。
1983年 オーストラリアの乳業メーカー「ガーデンシティ社」へドリンクヨーグルトの製造技術を供与。